快適生活研究所情報 2019年6月号 |
経営姿勢:当社は「いのち」と「こころ」を大切にする経営に徹します
経営理念:信頼のネットワーク、人に優しい天然素材で快適生活のお手伝い
(1)昭和天皇のご覚悟に感動
新しい年号が令和となり、響きがよく品格ある名前で、気に入りました。新天皇が無事即位されて、安堵しました。平成天皇は象徴天皇の具体的なあり方を求めて日本と世界の平和を願いながら、国民と共に喜び、悲しむ、国民に寄り添う天皇像を実現されたと思います。頻繁に沖縄を訪問され、戦没者慰問や被災地を度々訪問され、南太平洋の戦地にも慰霊のために訪問されました。被災地では膝を折って被災者に語りかけておられるお姿に頭が下がりました。沖縄訪問や戦地へのご訪問は昭和天皇がやり残した先の戦争の償いをされたように感じました。有り難うございました。
先日終戦の時マッカーサー元帥が昭和天皇と初めて会見した時の事を知りました。会見の少し前に「自分が一人引き受けて、退位でもして収めるわけにはいかないだろうか」と木戸内大臣に漏らされたそうです。昭和20年9月27日のことです。マッカーサーは天皇がどう命乞いをするだろうかと待ち構えていました。(アメリカ議会では昭和天皇を戦犯として裁く決議案が提出されています)。公邸玄関にマッカーサーの出迎える姿はなく、彼はレセプションルームで天皇を迎え、奥の部屋に案内しました。そこでどんな会話がされたのか、公式な記録はありませんが、マッカーサーの回顧録には次のように記されています。「天皇の話はこうでした。『私は戦争を遂行するにあたって日本国民が政治、軍事両面で行った全ての決定と行動に対して、責任を負うべき唯一人の者です。あなたが代表する連合国の裁定に私自身を委ねるためにここに来ました。』−大きな感動が私を揺さぶった。死を伴う責任、それも私が知る限り明らかに天皇に帰すべきでない責任が。一人の人間としても、日本で最高の紳士であると思った」。同行した藤田侍従長のメモにもこうあります。「敗戦に至った戦争の、いろいろな責任が追及されているが、責任は全て私にある。文武百官は私の任命するところだから、彼らには責任がない。私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお任せする。この上はどうか国民が生活に困らぬように、連合国の援助をお願いしたい」。「かって戦いに破れた国の元首で、このような言葉を述べられたことは、世界の歴史にも前例がないことと思う。私は陛下に感謝申し上げたい。占領軍の進駐が事なく終わったのも、日本軍の復員が順調に進行しているのも、全て陛下のお力添えである。『これからの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わなければならぬことは多い。どうか宜しくお願いしたします』とマッカーサーは言いました。会見は当初15分の予定でしたが、35分に及び、会見終了後、マッカーサーの天皇に対する態度は一変していました。感動した彼は予定を変えて、天皇を玄関まで出て見送ったのです。マッカーサーの最大の好意の表れでした。人を動かすものは何か、昭和天皇のお姿が全てを語っています。日本がまな板の上に乗せられたあの時に、昭和天皇がいらっしゃったことは、日本人にとってどれほど大きな意味があったか、そんな気持ちになります。」(藤田侍従長の回想)
天皇陛下のご覚悟がなければ今の繁栄した日本はなかったでしょう。そう実感しました。感謝!
(2)「まもるくん」豆知識 もう夏がそこまで 蚊にご用心。マダニにもお気をつけ下さい。
5月6日は立夏で、二十四節気の一つです。太陽の黄経(こうけい)が45度になる日を言い、太陽暦で5月6日。暦の上で夏の気配を感じ始める頃です。山々の新緑が映えて、鮮やかです。そして爽やかな風が吹き抜けていきます。若葉が目を癒してくれます。四季の中で、この時期が大好きです。
そろそろ蚊が出てきて、ブーンと耳元で鳴き、眠りを妨げます。また、怖いマダニも出てくる季節です。そこで「まもるくんスーパー」をお使い下さい。30分程度は蚊が寄ってきません。殺ダニ効果もありますので、ご利用下さい。
大島みち子さんの言葉(顔の軟骨が腐る難病に冒され若くしてなくなりました。彼女が残した文章を集め「若きいのちの日記」という本にまとめています)
その中から
「病院の外に健康な日を三日ください。一週間とは欲ばりません。ただの三日でよろしいから病院の外に健康な日が頂きたい。」
「一日目、私はとんで故郷に帰りましょう。そして、お爺ちゃんの肩をたたいてあげたい。母と台所に立ちましょう。父に熱燗を1本つけて、おいしいサラダを作って、妹たちと楽しい食卓を囲みましょう。そのことのために一日がいただきたい。」
「二日目、私はとんであなたのところに行きたい。あなたと遊びたいなんて言いません。お部屋を掃除してあげて、ワイシャツにアイロンをかけてあげて、おいしい料理を作ってあげたいの。」
「三日目、私は一人ぼっちの思い出と遊びましょう。そして静かに一日が過ぎたら、三日間の健康にありがとうと、笑って永遠の眠りにつくでしょう。」
若くして亡くなった女性の生き方に倣い、私たちも自らの看脚下を深めていきたい。
月刊「致知6月号」より
死を迎えるまで、これまでお世話になった祖父、両親、家族、彼氏への恩返しを考えている大島さんの心の優しさが短い詩の中ににじみ出ていて感動しました。
松島則夫