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快適生活研究所情報 2016年7月号

経営姿勢:当社は「いのち」と「こころ」を大切にする経営に徹します

経営理念:信頼のネットワーク、人に優しい天然素材で快適生活のお手伝い

(1)無私の日本人 歴史家 磯田道史氏著

 自分の家族を犠牲にし、家系が絶えることも厭わないで人々に尽くす人たちが江戸時代にいた。
 磯田氏が「国恩記」という古文書を基に書かれています。舞台は仙台藩の貧しい宿場町吉岡宿です。ここは藩からの伝馬の御用に苦しみ、町はどんどんさびれ、家屋敷を譲ろうにも買い手がないほどでした。吉岡宿の将来を憂い、何とか立て直そうと必死に取り組んだ九人の商人のお話です。「お上に千両ほど金を貸せばお上から年に百両近くの利息が取れるはず。これを宿場の伝馬役をつとめる屋敷ごとに全戸配布すれば、永久に宿場の御用も滞ることなく、つとめることができよう」。その中の一人で最大の出資者浅野屋甚内の父親が臨終の床で息子に言い残した言葉に泣きました。「おまえさまの父は、いまわのきわに、枕元に、みなを呼び集め、こう言うたのじゃ。『もはや、わしも臨終が遠くない。かねがね申しつけているように、家業の相続を大切にいたした上で、手の及ぶ限り、貧家・孤独の人を恵んで助けよ。別して、老母を大切にしてもらいたい。この期に及んで、思い残すことはないが、わしには中年の頃より、一つだけ大願があった。それは、この吉岡宿に御救いをもらいたかったが、お迎えの時期がくるのと、寿命には限りがあるのはどうにもできない。残念であった。どうか頼む。ここに年来、貯めてきた浅野屋の銭は他のことに使わないでほしい。おれがだめなら、息子のお前、お前が駄目なら孫の周右衛門と、何代かかってもよいから、この志を捨てぬように。どうか、吉岡宿が立ちゆくように、この金を使って動いて欲しい』そう言うて、わしの手を握り、さも無念そうに息を引き取られようとする。その時わしは一生懸命に言うた。『末期の遺言確かに承りました。私も年々銭を蓄え時機を待ちます。それでも無理ならば、息子周右衛門にいいきかせ、かならずや、御志をとげさせます』。 お金を工面するために家屋敷、家財、衣類はもちろん、妻子まで身売りする覚悟で彼らはやっとの思いで銭5千貫文を集めます。そして藩へ嘆願書を出しますが、何度も何度も突き返されます。最後は寛永通宝5千貫文ではなく金千両にして出すようにと。しかし貫文から両に換えると800貫文足りないことが分かりました。浅野屋がこれ以上資金を出せば身代が潰れてしまうと仲間たちは心配して止める中、浅野屋の老母がこう言います。「わが家が悼むのは最初より覚悟の上です。町内の難儀を一身に引き受ければ、これより先どうなるかは、家内一同もわかっております」吉岡では永大の家系が死ぬ意味をこめて「悼む」と言いました。そして7年の歳月を経て、立ちはだかる多くの艱難をくぐり抜け、言葉に言いつくせぬ辛酸を舐めながら、一念岩をも通すという諺にある通り大願成就を果たします。
 読み終えてこれは勇気だけでは出来ないことだと思いました。崇高な志と並々ならぬ使命感、家族まで犠牲にしてでもやるという、とてつもなく強い覚悟と執念があってこそ出来たことだと思いました。彼らを最後まで苦しめる仙台藩の狡賢い能吏でさえ、身を捨て続ける浅野屋甚内に興味を持ち、好意を持ち始め、ついには敬意を抱くようになったのです。大願成就の後で、この商人たちはどう藩から、そして神様からご褒美を頂いたのでしょうか。是非お読み下さい。


(2)まもるくん豆知識 ナメクジにも効くとの情報

 数人のリピーターさんからの情報です。始めてお聞きする情報です。ナメクジなら塩と相場が決まっているのですが。一般にナメクジはカタツムリと同じ有肺亜綱の柄眼目に属し、カタツムリの一種だそうです。ということはカタツムリにも・・ですが、可愛そうですから使わないようにして下さい。先日散歩をしていて道の真ん中を這っている3cmぐらのものを見つけ、車に轢かれないように、這っている方向にある木の根っこにそっと置いてやりました。