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快適生活研究所情報 2015年9月号

経営姿勢:当社は「いのち」と「こころ」を大切にする経営に徹します

経営理念:信頼のネットワーク、人に優しい天然素材で快適生活のお手伝い

(1)不忘山 NHKおはよう日本を見て感動

 終戦の5ヶ月前、宮城県と山形県にまたがる蔵王連峰南端の不忘山(1705メートル)周辺に米爆撃機B29が3機相次いで墜落し、搭乗していた34人全員が死亡しました。3機が墜落した時間帯は、B29の無差別爆撃により、推定で10万人以上が犠牲になった東京大空襲と重なります。それが何故宮城県に迷い込んだのか。「エアポケットなど悪天候に巻き込まれて操縦不能になり、墜落したのではないか」と見る関係者もいます。米軍やGHQの史料を調べた加藤さんによると、3機は所属が異なり、グアムとサイパンの基地から出撃していました。攻撃目標はいずれも「東京」。ただ、機長の判断で目標変更も許されていたそうです。当時日本は「鬼畜米英」の旗印で戦っていましたので、地元の方々は敵だった彼らの死を悼む気持ちにはなれませんでした。しかし終戦を迎え、気持ちが少しずつ変わり始めたそうです。
 橋良夫さんはこうおっしゃっています。「戦後の貧しい生活の中で、ある思いが芽生えました。(橋さんが暮らす不忘山の麓にある長老地区。戦後、入植した人たちが荒れ地を開墾して切り開いた土地でした。6歳の時に両親と移り住んだ橋さんは食料も十分にない開拓地の生活に苦しみました。)そんな山奥の地に食料の支援が届きました。アメリカからでした。「日本のこういったところに物資を援助してくれる状態は普通じゃ考えられない」かつての敵から支援が届いたのです。橋さんは国が違うだけで、憎しみあう戦争の愚かさを改めて思い知ったと言います。
 住民たちは終戦から16年後、犠牲者を追悼する石碑「不忘の碑」を建てました。山頂近くにある不忘の碑には、平和を願うメッセージが記されています。住民の思いはアメリカ兵の遺族にも届きました。遺族から寄せられた手紙には感謝の気持ちが込められていました。それから半世紀あまり、地元の人たちは不忘山に慰霊の登山を続けてきました。しかし、住民たちも年を重ねるごとに山頂までの登山が難しくなってきました。そこで戦後70年の今年、住民たちが協力して山の麓に公園を作り、山頂と同じ不忘の碑のレプリカを置くことにしたのです。公園にはアメリカのケネディ駐日大使のメッセージも寄せられました。
 「平和と友情をもたらすために、何ができるか自分に問いかけることを望みます。」
 日本は先の戦争で米国から広島、長崎に新型爆弾である原爆を(殺傷能力を試すために)落とされ、一般市民34万人が犠牲になりました。しかし日本は米国の不当で残虐な行為に謝罪を求めませんでした。今は最も信頼する同盟国になっています。過去に拘り、謝罪を求めるよりも、平和を追求することに力を注ぐ国になった日本と日本人に深い敬意と誇りを感じます。しかし不思議ですね。戦争を忘れないようにと今不忘山のことが話題になるとは。

(2)まもるくん豆知識 ヒノキチオールは揮発性

 先般ある方からお電話を頂きました。「ダニを殺すためにシュッシュッと噴霧すると書いていますが、後はどうするのでしょうか」。聞かれている意味が正直ピンときませんでしたが、その後の会話で分かりました。噴霧すればそこが濡れるでしょうから、その処理はどうするのですかというご質問でした。「まもるくん」の主成分であるヒノキチオールは揮発性がありますので5分程度で渇きますとお答えしました。説明不足をお詫びします。