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快適生活研究所情報 2015年7月号

経営姿勢:当社は「いのち」と「こころ」を大切にする経営に徹します

経営理念:信頼のネットワーク、人に優しい天然素材で快適生活のお手伝い

(1)この人を忘れてはならない 外交官 重光葵氏

 この人がいなかったら今の日本の発展はないだろうと言われています。戦後占領軍のトップマッカーサーは日本に軍政を敷こうとしていました。占領軍布告1号にこうあります。「行政、司法、立法の三権を含む日本帝国政府の一切の機能は本官(マッカーサー)の権力下に行使せらるるものとす。英語を公用語とす」これを知った重光は驚きながらもこう話しています。「ドイツと日本は違う。ドイツは政府が壊滅してしまい、ドイツ政府に代わって軍政を敷いた。しかし、日本の場合、政府は存在している」日本政府は直ちに臨時閣議を開いて布告の中止を要請し、翌日重光は岡崎勝男終戦連絡中央事務局長官と共にマッカーサーの許を訪ねました。重光は日本とドイツの違いを述べ、「日本政府を通して占領政策を実行することが最も賢明な策」と訴えます。これに対してマッカーサーは「連合国の意図は、日本を破壊し、奴隷化することではない」と応じますが、重光は納得せず、「占領軍が軍政を敷き、直接行政の責任を取ることは、日本の主権を認めたポツダム宣言以上のことを日本に要求するもの。今回の布告は政府抜きで直接命令できるものであり、政府への信頼はなくなり国内は混乱に陥る。布告は即刻取り下げていただきたい」と断固、取り下げを要請しました。重光はさらに、ポツダム宣言の忠実な履行を決意され、平和を熱願された天皇陛下のご意見などを粘り強く伝え、交渉を続けました。次第にマッカーサーは心を開き、話に相槌を打つまでになり、ついに「貴下の主張は了解せり」と布告の取り下げを約束しました。「重光大臣、必要ならいつでも来て差し支えない」と機嫌よく握手まで交わして別れたそうです。
 重光葵外務大臣といえば昭和20年9月2日、ミズリー艦上での降伏文書調印で知られています。この上ない屈辱を感じて彼は出発前に以下の歌を読んでいます。
 願(ねがわ)くは 御国の末の栄え行き 吾名(わがな)さげすむ人の多きを
 彼の逸話で感動したのは昭和7年、上海で天長節の式典中に爆弾を投げ込まれた時のことです。中華大使として参列していた重光は爆弾が投げ込まれたことを知りながら、逃げることをせず、片足を失いました。丁度国歌斉唱中であり、逃げるのは不敬にあたると思ったそうです。
 一国を背負った男のすさまじいまでの気概とリーダーの覚悟で、戦争に敗れ何の力もない日本を救いました。感謝。

(2)まもるくん豆知識@ ムカデ忌避 と MERS予防

 最近ムカデ忌避についての質問が毎日のようにあります。HPの検索項目でも4番目になっています。小さなムカデなら噴霧して30分程度で退治できます。しかし大きいのはなかなかしぶといですから、噴霧して動きがにぶくなったところを叩いて殺すのが手っ取り早いと思います。
 韓国でMERSが流行っています。(致死率40%)日本にも上陸しないかと心配です。この感染症もSARS同様コロナウイルスですから、ヒノキチオールが増殖を抑制しますので、予防のため流行りだしたら「まもるくん」をお部屋に頻繁に噴霧されることをお勧めします。

(3)まもるくん豆知識A ゴキブリの出る季節になりましたが今年も「まもるくん」で安心

 ウエットティシュ2,3枚を丸めて「まもるくん」をたっぷり含浸させ、お台所等ゴキブリがよく出る所に置いておき、毎日乾燥させないように追加噴霧して下さい。ゴキの顔を見ないですみます。