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快適生活研究所情報 2014年8月号

経営姿勢:当社は「いのち」と「こころ」を大切にする経営に徹します

経営理念:信頼のネットワーク、人に優しい天然素材で快適生活のお手伝い

(1)知的障碍者を支援する「のらねこ学かん」代表 塩見志満子さんに感動

「お前の家は貧乏だから先生になれん。どうしてもなりたかったら短大へ行って体育教師の資格を取れ」。一番苦手な体育の教師は無理と答えたら「百姓して貧乏に耐えるのか」と言われて、日本女子体育短期大学に。短大に入った1年目に「荷物を纏めて帰りなさい。あなたはここにいても卒業できない」と言われ、負けてなるものかと毎朝4時に起きて6時までの2時間誰もいない体育館でバレーボールなどの練習に励みました。すると6ヶ月したら褒められるようになったのです。高校の恩師から「私は30年間教員をしてきたが、得意な教科の教員になると、苦手な生徒の心が見えん。苦手な教科の教員になると苦手な者の気持ちが分かる」と。数年後地元高校の体育教師に。学かんの立ち上げのきっかけは長男が白血病だったことです。我慢強い子でしたがあまりの痛さに「痛いぞ。ボロ医者」と大声で叫びました。長男は2ヵ月後に亡くなりましたが、ボロ医者と言われた医者は病院を辞めて研究のため米国へ。次男もお兄ちゃんのように死にはせんと言っていたのに、その年プールで亡くなりました。誰かに背中を押されてコンクリートに頭をぶつけたのです。大騒ぎになったのですが、高校教師の主人が来て、こう私に話しました。「これは辛くて悲しいことや。だけど見方を変えてみろ。犯人を見つけたら、その子の両親はこれから、我が子が友達を殺してしまったという罪を背負って生きていかないかん。……わしら二人が我慢しよう。子供は校医に頼んで心臓麻痺で死んだことにしよう。学校も友達も許してやろう」。この人は何を言うのかと思いましたが、今考えたらお父さんの言う通りでした。裁判に勝ってお金を貰っても何にもなりません。許してあげてよかったと思います。今でも命日に墓前に花が手向けられています。30年も前の話なのに。もし私があの時学校を訴えてお金を貰っても、優しい人を育てることは出来ませんでした。私はこれまで長く子供達に人権教育をしてきましたが、一度家庭の主婦に戻ると対岸の火事でした。これではいかんと思い養護学校の教師になりました。……教員になりたい人は沢山いますが、この子らの将来を支える人はいません。定年退職した主人も62歳でトラックに撥ねられて亡くなりました。運転手が来て「許して下さいなんて言いません。殺されても仕方ありません。どうか奥さんのいいようにして下さい」と土下座しました。「主人の分まで生きて幸せになって下さい」と話すとその人は「そんな優しいことを言われたら僕は生きられん」と大声を上げて泣きました。ついこの前、学かんに菓子折りが届き、皆に平等に分けたのですが、一人が我慢できなくて一つよけいに取ろうとしました。それを私が怒ると腕をがぶりと噛みついたのです。肉が裂けて血がボタボタと落ちてきました。思わず「もう辞めた。先生も歳を取ったからもう辞めた」と言ってしまったのです。「ああ、しまった」と思いました。あの子が悪いんじゃない。自閉症という病気が私の腕を噛んだのだから、……「先生が悪かった。だから辞めないよ」と言うと子供たちは皆笑ってくれました。恐ろしいことに今「将来自分の子供を殺すのが夢だ」と普通に話す子供がいます。命を軽んじる時代にしてしまったのは私達大人の責任です。 いつまでもいつまでも胸にじんと響く塩見さんの言葉でした。

(2)まもるくん豆知識 カイセンダニに抜群の威力

1年前になりますが、カイセンでお困まりになった看護師さん5人から「まもるくん」のご注文を頂きました。しばらく続けておられましたが、よくなったということでお一人を除き購入をお止めになりました。ところが最近またカイセンが出てきたとのことで予防のために購入を再開して下さいました。「まもるくん」のカイセンダニへの効果が認められて嬉しい限りです。