快適生活研究所情報 2009年07月号 |
経営姿勢:当社は「いのち」と「こころ」を大切にする経営に徹します
経営理念:信頼のネットワーク、人に優しい天然素材で快適生活のお手伝い
(1)梅雨を味わう 作家 山下景子さんに教えられました
6月梅雨いり宣言したとたん皮肉なことにお天気続き。私の住む木津川市では10日頃田植えが終わったばかり。終わったとたんにこれですから、お百姓さんは雨を待ち焦がれていることでしょう。
「つゆ」と言う字は梅の雨と書きますが、他にも新緑の頃降る雨を緑雨、青雨、水雨などと言います。桜に降る雨は紅雨と言い、夕立やにわか雨を白雨と言います。また梅雨の始まりの頃吹く南風を「黒はえ」、梅雨の中頃の風を「荒はえ」、梅雨の終わり頃の風を「白はえ」と言います。また梅雨を送り出した頃の雨を「送り梅雨」といい、終わったのに降り続く雨を「戻り梅雨」と言います。雨に「濡れる」と言いますが、色を塗るが語源です。最後に「やらずの雨」。そろそろおいとましようかなという時に、帰る人を引き止めるように降る雨を言います。
日本人なのに素敵な言葉を知らない、伝えていないことがつくづく恥ずかしくなります。「ことのは」を大切に伝えていきたいですね。
(2)ユダヤ難民敦賀上陸秘話
6月20日は国連が定める世界難民の日です。日本はなかなか難民を受け入れませんが戦前は違いました。1940年(昭和15年)国際社会がユダヤ難民の受け入れを拒否する中(あの米英仏さえ)、杉原千畝カウナス領事代理は外務省のビザ発給に関する訓令を破ってまでビザの発給を続けました。その数6千人。彼は悩んだ末、仮に陛下ならどうされるだろうかと考え、やはり人間の「いのち」を何よりも大切にされると確信し決断したのです。難民たちはシベリア鉄道経由で敦賀港に到着しています。彼らを敦賀の人たちは暖かく迎えています。リンゴを沢山贈った人、お金に困っている彼らの時計を買ってあげた人の話に心が温まりました。
それから遡ること20年、1919年(大正8年)ロシア国内が内戦状態の中、ロシアにいたポーランド人の子供たち、特に両親を亡くした子供たちはお腹を空かし、身を寄せる場所さえなく、まさにこの世の地獄のような極限状態にありました。日本政府はこの窮状に痛く同情しすぐさま日本赤十字社に指示し救助活動を開始したのです。この孤児たちを暖かく迎えたのも敦賀でした。この話を聞いて嬉しかったのと同時に久しぶりに日本人の誇りを感じました。
(3)まもる君豆知識 新型インフルエンザの予防
5月メキシコから発症した新型インフルエンザが瞬く間に世界に拡大し、ついに6月半ばWHOはフェーズ6(世界大流行)とし警戒を呼びかけています。幸い弱毒性で、亡くなる方が少なく私たちは比較的冷静に受け止めています。
日本は丁度湿気の多い梅雨の時期に入り、インフルエンザの拡大を抑えています。しかし、この秋から冬、新型インフルエンザがどう変異するかが問題です。インフルエンザの感染の大半は接触感染と専門家は言っています。ですから予防は手指消毒が基本です。外から帰ってきたら必ず丹念に手を洗い、その後「まもる君」で除菌されることをお勧めします。