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快適生活研究所情報 2009年04月号

経営姿勢:当社は「いのち」と「こころ」を大切にする経営に徹します

経営理念:信頼のネットワーク、人に優しい天然素材で快適生活のお手伝い

桜 特 別 編

樹齢450年の荘川桜移植秘話

昭和27年、政府は本格的な復興に向けて広範囲な電力供給を行うために電源開発(株)を創設し水力発電のための設計にとりかかりました。その初代総裁が高崎達之助です。御母衣ダム建設を発表するや予定地である岐阜県大野郡荘川村から「絶対反対」の声が上がり反対する会が発足します。しかし地元民は大局的な立場からダム建設を受け入れ、昭和34年11月に会を解散します。地元民は解散式に何と高崎総裁を招きました。それは高崎が交渉に際して自ら足を運び、膝を交えて対話したからです。地元民は高崎の誠意に惹かれていきました。解散式の後高崎は水没する荘川を見て回りました。

光輪寺という寺の境内に立ち寄った時、巨大なアズマヒガン桜の老木が目に留まり息を呑みました。「この巨樹が水を満々とたたえた青い湖底に、さみしく揺らいでいる姿がはっきりと見えた。この桜を救いたいという気持ちが、胸の奥のほうから湧き上がってくるのを私は抑えきれなかった」と語っています。帰京した高崎は早速著名な植物学者に相談しますがそんな老木を移植した例はないと断られます。そこで頭に浮かんだのが「桜の博士」の異名を持つ笹部新太郎でした。ただちに高崎は笹部を訪ねて懇願します。当時73歳の笹部はその熱意に負けて引き受けることにしました。ダム工事に携わっていた間組や日本一の庭師と謡われた丹波政光棟梁も協力を申し出ました。移植工事は難航を極めたと伝えられています。何しろ1kmの移動であり、桜の根っこの長さが100mにも及びこれを生かすか切るかで一もめしたそうです。一進一退を繰り返しながら工事は進捗していきました。枝や根っこもすっかり切られた桜はそれでも40トン近くになり、特製の橇(そり)に載せてブルドーザー3台で引き上げられました。新たな移植場所にはクレーン車に吊るして植え込まれました。

12月24日クリスマスイブのことです。彼らはひとえに老樹を生かすことで荘川の人々が故郷を偲ぶよすがにしてほしいとの思いからこのプロジェクトに結集し精魂を傾けたのです。翌年春が来ても桜には何の変化もありませんでした。開花の時期がとうに過ぎたある日、国鉄バスの車掌をしていた佐藤良二が覆われた菰の間から新芽が顔を覗かせているのを発見します。何とか活着していたのです。高崎は満開の花をつけてほしとの願いから和歌1首を捧げます。「ふるさとは 湖底となりつ うつし来し この老桜 咲けとこしへに」 数年後、荘川桜と名づけられた二本の老桜は満開の花を咲かせます。その光景を見ることもなく高崎も丹波もこの世を去りました。爾来およそ50年の歳月が流れ荘川桜は樹齢500年に「いのち」を延ばし、5月上旬に開花します。

(1)生かされている「いのち」を大切に

人が生まれる確立をご存知でしょうか。私たちは卵子8千から1万個に精子1億から2億個を掛け合わせた天文学的な確立の中から生まれました。無事生まれてもその15%は発育不良で育ちません。五体満足に生まれるということは、それだけでも奇跡と言っても決して過言ではありません。

人が誕生して以来「いのち」をつないで今日私たちは存在します。両親を1代前として2人としますと10代前は2046人、35代前(約千年前)は何と68億7千万人になります。どこが欠けても今の私は存在しません。そして動物や植物の「いのち」をいただいて生きています。食事の時「いただきます」と手を合わせるのは他の「いのち」をいただくことへの懺悔と感謝なのです。

(2)大安寺河野良文貫主のお話

大安寺は南都七大寺の一つです。先日河野貫主(かんす)さんのお話を聞く機会を得ました。その中で大変感動した話をご紹介します。貫主はお若い時、タイで3年間修行されました。父親はタイに行くことに賛成しましたが、母親は「修行なら高野山でもできます」と言って反対されました。タイに出かける時お母さんは見送りに出てこなかったそうです。向こうでは朝早く黄色い僧服をまとい町に出かけて今日一日の食事をいただく托鉢を行います。

1年間は言葉が話せないために孤独感を味わい、食事も口に合わず大変ご苦労されました。そんな時にお兄さんが会いに来てくれました。久しぶりに会う兄にこれまでの鬱憤を晴らそうと待ち構えていました。そのお兄さんが帰国する前にこうこぼされたそうです。「お前のために食事が遅くなって困るよ。」その理由を聞くと、お母さんは貫主がタイに出発してから一日も欠かさず陰膳をし、そのために食べる時間が30分遅くなったそうです。それを聞いたとたん涙が止まらなかったそうです。

何も知らないでタイ行きに反対した母親に不満を抱いていた自分が恥ずかしくなり、お母さんの愛情に心が打たれました。キリスト教の愛を仏教では慈悲と言います。慈(メッター)とは悲しみ、へだてない友情を言い、悲(カルナー)は呻(うめ)く、同体大悲をあらわします。幾つか心にしみる詩を紹介して下さいましたが、その中で私が好きな坂村真民氏の詩を紹介します。

「生きてゆく力がなくなるとき」

死のうと思う日はないが 生きてゆく力がなくなることがある

そんなときお寺を訪ね わたしはひとり 仏陀の前に坐ってくる

力わき明日を思うこころが 出てくるまで坐ってくる

(3)まもる君豆知識 うれしい情報

先日ある施設でノロウイルスが発生し「まもる君」をお使い頂いたところ二次感染を最小限に止めることができました。「本当に助かりました」と受付の女性に感謝されました。また皮膚が弱く、冬になると体をかゆがるお子さんにスプレーしたところ沁みることもなく、頭皮にあった赤く痛そうな所が一日でかさぶたに変わり、どんどんきれいになってきたとの嬉しいメールが届きました。私もそうですが製造元の社長もこんなニュースに接するとやりがいを感じ、元気が出るとおっしゃいます。有難うございました。