快適生活研究所情報 2007年05月号 |
経営姿勢:当社は「いのち」と「こころ」を大切にする経営に徹します
経営理念:信頼のネットワーク、人に優しい天然素材で快適生活のお手伝い
(1)桜にまつわるお話
今年の桜は余りぱっとしなかったとの声を聞きます。当初暖冬の影響で開花が早くなると予想されていましたが、3月7日以降の冷え込みですっかり予定が狂い、開花が遅れました。いつもは一斉に開花したのに、ほころびが遅れるものが多く、そのためにまばら咲きでボリューム感がなく華やかさに欠けていました。色がくすんでいると言う方もいました。そのお陰で私の家の前のソメイヨシノが4月20日なのにまだ2分程度咲き残っていますし、八重桜が隣で咲き始めています。
田んぼでは苗代作りが始まりました。桜は何故下を向いて咲くのかという近くの住職のお話を思い出します。「さくら」とは(さ)の神様が宿る倉(くら)代で、それで「さくら」と言います。(さ)は他にも早苗、早乙女に使われています。昔は農民たちにとってお米の豊作不作が死活問題でした。そこで村人たちは神様にいつ稲を植えつけたらいいのかを尋ねました。神様はその時期を「さくら」を下向きに咲かすことで知らせて上げると約束されました。桜が咲いたら苗代の準備をしなさい。もう霜の降りる心配はないですよと。こんなお話をお聞きするとますます桜が好きになります。日本に生まれて良かったと思います。
(2)しいのみ学園長 J地(しょうち)三郎先生 教育とは情意安定させることなり
私が小学校高学年の頃文部省特選映画「しいのみ学園」を見ました。映画の内容はよく覚えていないのですが♪ぼくらはしいのみ まあ〜るいしいのみ♪の歌は今でも歌うことが出来ます。先日敬愛するPOPのお師匠さん(http://www.pop21.biz/)からJ地三郎聞書「親心子心」を贈って頂き、脳性小児麻痺の子供たちが学ぶ私設の学園だったことを思い出しました。先生には脳性小児麻痺のお子さんがお二人もいらっしゃいます。
「現代医学では救えない」と医者に見放された我が子をしっかりと抱きしめて泣く奥様を見て、先生は「医学には限界があるが、親の愛情には限界はない。」「必ずこの子を歩かせてみせる。一人前にせずにおくものか。」と決意されます。先祖伝来の土地など全財産を投げ打たれて創設されたしいのみ学園。当時(昭和29年)は養護学校などなく、肢体不自由な子供たちや知恵遅れの子供たちは就学猶予か、就学免除になり、家に閉じ込められていました。学園が創設されるや全国から入園志願者が殺到したことは言うまでもありません。
この本を読んで沢山の感動を頂きましたが、涙が止まらなかった箇所をご紹介します。「悦子ちゃんは学芸会では不自由な照子ちゃんの手をとって、一緒に踊ることになっていました。その照子ちゃんが亡くなったので手を引くまねをして踊ることにしたのです。学芸会が始まり悦子ちゃんの出番が来ました。音楽に合わせて踊っていた悦子ちゃんは急に舞台から下へ降りました。何をするのかと思った瞬間、飾ってあった照子ちゃんの写真を抱きかかえ、舞台に上がって遺影と一緒に踊りだしたのです。誰がこの子を障害児だというのですか。誰が精神薄弱児というのでしょうか。照子ちゃんの両親は泣き崩れ、会場の親たちはみんな涙に咽びました。」