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快適生活研究所情報 2016年10月号

経営姿勢:当社は「いのち」と「こころ」を大切にする経営に徹します

経営理念:信頼のネットワーク、人に優しい天然素材で快適生活のお手伝い

(1)歌人 山野井昌子氏の人生に感動 「命掻き立たせ、懸命に生きる」

ついこの前パラリンピックが終わり、世界に感動をもたらしました。私は特に陸上の辻紗絵さんが懸命に追い上げて3位に入った姿に感動しました。そんな時、山野井氏の話に出会いました。身重なお母さんが事故にあい7ヶ月で出産し、生まれたのが山野井氏です。生まれて数ヵ月後小児麻痺に罹り、肢体不自由の障がい者となりました。物心ついた頃家族が「この子は20歳くらいまでしか生きられないだろう」と話をしているのを聞き、私は何のためにこんな身体で生まれてこなければならなかったのだろうと苦悩したそうです。「家庭の雰囲気を暗くしたくない一心で明るく振舞うようにしていました。しかし一度だけ声を上げて泣いたことがありました。それは7歳になった年の11月七五三のことです。その日は小児麻痺による手足の硬直で痙攣が酷く、風邪を引いて熱が出ている状態でした。そのため家族も敢えて七五三について触れませんでした。向かいに住む女の子が立派な着物で着飾り千歳飴を渡しに訪ねて来たのです。その姿を見た私は情けなくなって来客を見送ってから「私なんか生まれなくてよかった」と声を上げて泣いたのです」。しかし、私が泣いたりすれば両親を苦しませてしまうことに気づき「人間一人一人は弱い存在なのだ。それでは自分自身が強くなっていこう。どんなに苦しくても諦めず、反対に明るい笑顔で生きよう」と決意されました。ある日お母さんが「いろは駒」を買ってくれたので、嬉しくて無我夢中で文字を覚えました。お父さんも小学校一年生で習う読本や修身を買ってきてくれました。その日から歯でペンを咥え、唾で本がふやけるまで口でめくって、繰り返し、繰り返し懸命に勉強されました。ところが戦後の貧しさから両親が閉鎖的になり、また姉が結婚して家を出るのを契機に、短歌の世界に入られます。歌人佐々木信綱の高弟である安藤寛先生に師事されます。安藤先生は動けない山野井氏のために郵送した作品を根気強く指導されました。昭和45年に歌集「車椅子」を、49年には美智子妃殿下(当時)に献上される「浜木綿のかげ」を発行されました。その後10人のお弟子さんをとり、短歌に打ち込まれています。昭和59年には障がいとは関係がない純粋な歌人の会である埼玉県歌人会短歌大会で県知事賞を授与されています。61年にお母さんを亡くし、障がい者施設に入所されましたが、施設の過酷な環境に耐えかねて独立独居の生活に入られます。しかしその記憶がないそうで、「人間は余りに辛い経験をすると本能的に忘れてしまおうとする」とおっしゃっています。「確かにハンディのあることで苦労もしてきましたが、今心から思うのは健常者であれば得られなかった感謝の心や自力での達成感など、精神的な宝に恵まれた人生だったということです。どんなに苦しくてもそれを乗り越えれば必ずや、それに匹敵する幸福感を授かるものです」。健常者も障がい者も皆が命を輝かせられる社会の実現を目指しこれからも命掻き立たせ、懸命に生きていきたいとお話しになっています。与えられた人生に感謝し、どんな苦労にも耐えて懸命に生きる山野井さんの姿に感動しました。

(2)まもるくん豆知識 「まもるくん」は界面活性剤を使っていません。

9月号で、シャンプーなど「全ての化学製品は界面活性剤で乳化させていますが、「まもるくん」はヤシ油石鹸を使用し、化学薬剤を一切使用しておりません。まさしく天然植物成分100%製品ですので安心してお使い下さい」。と書きましたが、つい先日横浜市の大口病院で患者さんの点滴に界面活性剤が入っていたと報じられ、大変驚かされました。これが原因で亡くなったかどうかまだ分かりませんが、界面活性剤は身体に良くありませんのでお気をつけ下さい。